もし、人間に「リアル検索エンジン」がついていたら、どんな世界だろうかと妄想してみました。
眼前に現れる現象は、過去の情報収集履歴や、体験に応じたものが現れてくるのでしょうか。
もしかすると「あなたに今おすすめの」ものが、リアルに現れてくるのかもしれませんね。
けれども、自分の情報収集パターンがマンネリ化していると、「おすすめ」されるものも、はじめのうちはよくても、人によっては、飽きてくるかもしれません。
また、その人個人の情報収集能力や、行動力により、差がでてきそうです。
そのような状態で、もし、自分の知識や体験から、難しい内容の選択を求められたら
どのように判断するでしょうか。
情報収集しきれない中、選択や判断する期限が差し迫ったら
「自分にとっては難しすぎる問題なのでパス」
「とりあえずこっち」
といった選択をし、正面から向き合うことができないかもしれません。
パスしていくことも自由な選択肢の一つかとは思いますが、
このリアル検索エンジン搭載の世界では、パスし続けた履歴もきっと残るでしょう。
そのため、パスし続けた行動履歴により、しだいにその人には、「選択権」が与えられなくなってしまうかもしれません。
少数の人が、そんな現象に見舞われていった場合
その他大勢の人が、「日頃の研磨が足りないせいだ」
と少数の人を上からバッサリと切り捨ててしまう世の中になってしまうのでしょうか。
それとも、その少数と思っていた人が、もっと多数に膨れ上がらないように、それぞれの情報収集能力を提供しあう世の中になるのでしょうか。
普段は一般庶民の検索エンジン搭載の人も、時には専門家の検索エンジンが必要になったり、社会に出たての若いかたが、社会に精通した人の検索エンジンが必要になることもあるかもしれません。
そんな時によい形で共有し合えると、リアル検索エンジンも、より生き生きとしたものになっているような気がします。